文書教材

Vol. 1 21世紀ボーダレス国際社会に必須の「『知』への道のり」

投稿日:03/23/2019 更新日:

「知識」(knowledge)と「教養」(culture)の違いについて考える

世の中には、物事をたくさん知っている人がいます。本や雑誌、新聞、あるいは、インターネットを通して、様々な知識・情報・データを得る人は大勢います。しかし、ものを知っていても、「それをどのように活用し、どのように社会やコミュニティーのために役立てるか」について深く考える人はそう多くはないと思います。

概して、普通の教育を受けた人ならば、言語上の語彙として、「知識」(knowledge)、「教養」(culture)という言葉は知っているものです。しかし、実際問題として、これら二つの概念について、それらをしっかりと把握し、十分に理解している人は少ないと想像します。冒頭で述べた内容と関連付けながら説明すると、知識とは、「単にものを知っている」ということです。つまり、これは、知ろうとするプロセスを通過して得た情報、データそのものを指す言葉です。一方、教養とは、既に得た情報・データなどについて、それらを、他者やコミュニティー、さらには社会一般の「幸福」(happiness)や「利益」(benefit)を実現するために役立てるための知恵(wisdom; intelligence)を意味する言葉です。

ここで少し深い話をすると、英語では「文化」をcultureと呼びますが、同時に、このcultureという言葉は「教養」という意味を成します。言うまでもなく、世界に存する様々な「文化」、あるいは、「知」(sophia、ギリシア語で『知』『英知』を意味する)を面前とし、その「精髄」「真髄」(the quintessence; the essence)に触れるためには、それなりの「教養」(culture; cultivation)を備えていることが必要となります。これをわかりやすく言うならば、英語の世界では、cultureという言葉は、「文化」であると同時に「教養」という概念を意味する言葉なのです。

本来、「知っている」ということと「役立てる」ということことは、それぞれ根本的に異なる概念です。このような観点を踏まえて述べられることは、皆さんが学んでいる英会話も、ただ単に、知識として覚えるだけでなく、何らかの目的を果たすため、即ち、「他者の幸福実現の一助」になるべく「人類愛の実践・実現」という国際的な観点から「国際共通語としての英語」を学んでいただきたいということです。

古代ギリシアの哲学者、ソクラテスの「無知の知」

概して、人間という動物は、少しばかり何かを学び、それによってある程度の評価を得ると、さぞたくさん知っているかのように人前で振舞いたくなる習性を持っているといえる。言うまでもなく、どんな分野においても、ある程度まで極めるための「学びの道」を歩むというそのプロセスは決して簡単なものではない。だが、人間は、時として、実に愚かな考え方をする。「自分には限られた知識しかない」という事実は自分自身が一番良く知っている事実であるが、どんな人間でも、時には「自分は何でも知っている」というような“錯覚”に陥ることがある。しかし、「自分は何でも知っている」ということを軽々しく言えるということは、「実は何も知らない」、あるいは、「知ってはいるが、実はそこそこに知っているだけだ」という証となってしまう。

古代ギリシア時代における偉大な哲学者、ソクラテス(Sokrates, 470?-399 B.C.)は、「知」を愛し、「知」を求めることに自分の人生を託した。古代ギリシア語においては、「哲学」(philosophia)という言葉は、「知」(sophia)を「愛する」(philein)という意味であるが、このような”知を愛すること”、即ち「愛知」はソクラテスによって確立されたものであると伝えられている。

ソクラテスは、「助産術」と呼ばれる問答方式で、周囲のソフィストたちに本当の「知」を認識させることに努めた。しかし、ソフィストたちは自分たちの無知をソクラテスによって悟らされてしまうため、自己反省のできない者達からはひどく嫌われた。ソフィストの中には、少しばかりの知識があるだけで、さぞ自分が“偉い人物”であるかのような錯覚に陥る傾向にあった。当時のギリシアでは学問をするというのは贅沢なことであったので、大衆は「学問をする人」を尊敬していたが、ソフィストといえども決して万能な存在者ではない。ある程度、学問を修めたとしても、その知識は決して万能なものではない。

ソクラテスは、「自分は何でも知っている」と自負する者は、実は「何も知らない者」であり、人間は、自らをそう思っている間は決して「真の知」には到達できないと力説した。「『自分は本当は何も知らない』という自分自身の『無知』に気づくことが真の知への扉の前に立つことである」というこの考え方は、古代ギリシア時代のみではなく、この21世紀の現代社会においても十分応用できる考え方である。

<参考文献> 生井利幸著、「人生に哲学をひとつまみ」(はまの出版)

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