文書教材

Vol. 6 仏教・禅宗の無常観(a sense of transitoriness)から捉える「『一秒の生』の価値」

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本稿

言うまでもなく、物質界(the material world)におけるすべての存在物は、「生まれ、変化し、消滅する」という一連の流れを繰り返しています。仏教においてこのような考え方を「諸行無常」(All things are in flux and nothing is permanent.)と呼び、これは、仏教・禅宗において「生滅変化する存在物に対する基本認識」として捉えられてきた概念です。

“All things are in a state of flux.”
「万物は流転する。」

「禅」は、禅那(ぜんな)・禅定(ぜんじょう)の略であり、これは即ち、「静慮」の意を成す概念です。古くは、6世紀初頭、インドの菩提達磨(ぼだいだるま)が中国に来て以来、坐禅によって「釈迦の菩提樹の下での『悟り』(enlightenment)」と同じ悟りを開こうとする新しい宗派がおこり、それが「禅宗」と呼ばれるようになったものです。仏教における「悟り」は文明・文化の相違から妥当な英語が存在していませんが、私の見識では、仏教における「悟り」を英語で表現するならば、”enlightenment”が妥当であると考えます。

我が国日本では、天台の僧である栄西(1141-1215)が日本に伝えたのが禅宗の始まりです。栄西は、比叡山で天台密教を学んだ後、2度ほど宋(中国)に渡り、1191年に臨済禅を伝えた人物です。栄西は、天台宗などの”旧仏教”を否定したわけではありませんが、比叡山は、禅の重視に反対する立場をとりました。後に、栄西は、鎌倉将軍家の援助を受け、寿福寺や建仁寺を建て、精力的に臨済禅の普及に努めました。栄西の主著 『興禅護国論』 は、天台宗による非難を批判。当時の日本に「禅法」が必要な理由を述べたものとして知られています。

栄西の弟子である道元(1200-1253)は、栄西と同様、宋に渡り、そこで厳しい禅の修業を経験しました。後に帰国し、曹洞宗をおこしました。道元は、「強靭な意志と信念」(tenacious willpower and belief)を貫いた人物として知られています。本稿においては、大変興味深い逸話(anecdote)として、「自己を捨て『慈悲』(mercy and charity)を重要視する道元ならではの『徳風』」についてご紹介します。

それは道元が48歳のときのこと。当時の執権・北条時頼の招待を受け、関東で人々に仏道を説いたときの逸話。道元が、説法(sermon)の役目を終えて越前国(現在の福井県)の永平寺に戻ったときの出来事です。道元の弟子・玄明が、時頼から永平寺に3000石の土地を寄付する「お墨付き」を預かり、それを嬉しそうに道元に差し出しました。ところが、道元は、それを見たとたん、「わしは、べつに財・名声のために真理を説いているわけではない」(I’d like you to surely and profoundly realize that I’m not preaching a sermon for the sake of obtaining earthlyminded property and fame at all.)と玄明を怒鳴りつけ、玄明から僧衣を剥ぎ、即刻、永平寺から追い出したというのです(わたくし生井利幸は、このときの道元における「やるせない気持ち」(downhearted feeling)を想像するとき、<言語そのもの>では表現できない心境に陥ります)。

現代に生きる私たちは、今再び、静寂の中の優雅な心の世界の中で、この逸話を介して、「道元が、どのように自力による救済を追及し、『代償を求めない人間愛』(philanthropy without reaciving any compensation)を自らの手で実践していたか」ということを想像してみるべきだと考えます。

禅宗における「無常観」(a sense of transitoriness)をわかりやすく述べるならば、「この世には完全無欠、あるいは絶対不変なものはない」ということです。

ここで、医学的見地から、人間の「体」(body)を具体例として考察してみましょう。人間の体においては、常に、”極めて短い時間的空間”において、無数の「細胞」(cell)が滅び続け、その一方、無数の新細胞が生まれて新陳代謝(metabolism)を繰り返しています。そして、人間という存在物も、時が来れば、必ず「死」に至ります。人間が人間である以上、誰一人として永遠に行き続けることは不可能なのです。他の動物ももちろんのこと、椅子、テーブル、机、車、家はもとより、(地球上の)「大自然」でさえも、(同じ形としては)決して永遠に存在することはできません。

“Quintessentially speaking, it is the “law of nature” that the old give place to the new and the new take the place of the old.”
「本質的に述べるならば、新陳代謝は『自然の法則(摂理)』である。」
(世界の文明・文化に共通する認識事項として)

私たち人間はすべて、「”永遠でない”生命の賦与」(life given which is not eternal)を受け、「限りある人生を生きる」という「宿命」(fate)を背負って生きています。このことは、人種・国籍・性別・財産・社会的地位・名誉等にかかわらず、すべての人間は、”mortality”(死ぬ運命)を備えているということを意味します。この”mortality”は、すべての人間において”inevitability”(どのような手段を用いても回避できないこと(必ず起こること))として受け入れなければならない「変えることのできない『宿命』」(“fate” nobody can change)なのです。

「人間の生命は決して永遠でない」(Human life is transient)、・・・人間に賦与されたこの宿命の面前において、”理性的存在者”として、日々、迎える一秒一秒の「生の価値」を存分に満喫したいものです。「毎日の一秒一秒における『生の価値』」をどのように捉えるか、ここに、「人間存在の本質」(the quintessence of human existence)について哲学する上での「原点」(the starting point)の”一つ”があります。

思索のためのヒント

今週は、受講生・Y.B.さんから「心に沁みるメッセージ」をいただきました。今回の特別講義に非常に関係のある内容ですので、以下においてご紹介させていただきます(紹介の旨はご本人に確認済み)。メッセージは、「茶道の精神」を堅持して毎日を過ごしているY.B.さんならではの「深い気づき」が感じられる記述内容です。

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生井利幸先生、
昨日も、素晴らしいレッスンをありがとうございました。“心の浄化”について、先生が実践されている具体例を教えていただいた後、帰途につき、改めて、先生が、レッスン中において発言されていることは、「常に、確かな意味・理由がそこに存在している」と感じました。

例えば、朝一番に窓を開けて、新鮮な空気に入れ替えたり、ろうそくの炎の前で心を落ち着かせて瞑想する、といった具体的な方法をうかがい、「先生は、そのような日々の実践を通じて、高い心のステージを保って過ごされているのだ!」と、強い印象を受けました。しかし、それを他人事のように聞くのではなく、「私自身も実践する」必要性があるからこそ、さりげなく助言して下さったのだと、改めて気づきました。

最近では、日々、仕事や雑務に追われ、イングリッシュヒルズの学習も時間に追われてしまう気持ちが強かったように感じます。慌ただしい気持ちのまま、いくら学習を行っても、時間だけを費やすだけで、うわべだけのものになってしまいかねません。

なぜ先生が、「心の浄化を図り、雑音やネオンを取り去った上で、学習を行うことの重要性」を説いてくださったのか・・・、それは、今の私自身の落ち着かない生活環境を見透かされ、そのまま指摘されているように思いました。

朝の時間の過ごし方、ろうそくを灯す静寂のひととき・・・、一つひとつの時間の小さな積み重ねで、人生が大きく変貌することを生井先生が身を挺して教えて下さっていることを、きちんと理解し、「他人事ではなく、自分のこと」として捉えなければならないと、強く実感しました。

何度も申し上げていますが、銀座書斎へ入室する際は、いつも、茶室へ入る時と同じ空気を感じます。それは、私たち受講生に最善の環境を提供して下さるために、常に先生が、銀座書斎を清めてくださっているから、美しい空気が流れているのだと思います。

このメールを書きながら、以前、「夕ざりの茶事」というものに参加したことを思い出しました。露地の「つくばい」で身を清めた後、ろうそくだけが灯る、静寂の茶室に入室した瞬間、 心を尽くして準備して下さった先生からの「無言のメッセージ」を感じました。私も、銀座書斎や茶室の清らかな空気感を、日常においてももっと取り入れられるよう、意識して過ごして行きたいと思います。この度は、どうもありがとうございました。今後とも、ご指導の程よろしくお願い申し上げます。
Y.B.より
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