文書教材

Vol. 9 音は、音であって音ではない

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英会話を学ぶ人であれば、「国際社会で通用する会話術・発音・イントネーション等を習得し、様々なコミュニケーションにおいて意気揚々と英語を喋りたい」と切望することはごく自然の道理でしょう。現在、当・英会話道場イングリッシュヒルズで英会話を学ぶ受講生においては、実に100パーセントすべての受講生の皆さんが、毎回の60分レッスンをボイスレコーダーで録音し、次のレッスンまでの一週間の間、毎日、その録音内容について聴いて聴いて聴き込んでいます(新・受講生の場合は、一定の期間学んだ後)。

「毎週一回の60レッスンのすべてを録音し、そのレッスン内容を聴いて聴いて聴き込むという学習経験を、継続的に一週間ごとに行える」ということ。これは即ち、客観的に考えてみるとわかることですが、「当教室における学習環境は、国内外において、最高峰レヴェルの学習環境を備えている」と明言できることです。

「講師が行うレッスンについて、ボイスレコーダーをフル活用して復習に復習を重ねる」という経験は最も効果的な学習経験であると言うことができますが、今回、本稿では、さらに深い観点から、受講生の皆さんと共に、「より効果的なボイスレコーダーの活用法」について考えていきたいと思います。本稿では、まずはじめに、受講生の皆さんに対して、<本質を探究するための一つの言葉>をご提示します。

■本質を探究するための言葉
「音は、音であって音ではない。」

この言葉を耳にして、通常の人は、「えっ、これは一体どういうこと?」と疑問に思うでしょう。一般の人々の場合、この言葉に内在する本質を理解できる人は、恐らく、「100人中、1人いるかいないか」だと想像します。しかし、当・英会話道場イングリッシュヒルズにおいて既に一定期間にわたってレッスンを受講してきた受講生においては、「全受講生の3分の2」前後の方々が、この考え方について“相当なる理解”に及んでいると言えるでしょう。

無論、どのような受講生の場合であっても、面談試験を通過して実際のレッスンが始まった後、最初の1年の間は、それなりの通過点を通ることなしにこの考え方を理解することは不可能に近いことです。通常、当教室で英会話を学び始めて最初の1年は、「音は、音であって音ではない」という考え方の基礎を学び、2年目から、「音は、音であって音ではない」という英語の音に対する捉え方について、受講生自身、まさに“手探りの状態”で、学習に学習を重ねていきます。

この問題について結論を先に述べるならば、「音には“様々な構成要素”が内在している。音を習得するには、まず第一に、その音を発する人間の“精神”(spirit)にしっかりと触れ、自分なりの方法でその精神を理解することに努めることが必要不可欠である」ということです。

講師は、当教室ウェブサイト、また、実際のレッスンにおいても、「“上辺だけ”、どのように講師の話し方・発音・イントネーションを真似しても、講師が備える精神・考え方を理解せずして、それらを自分のものとすることは永遠に不可能である」という趣旨のことを明確に述べています(一般社会においては、所謂、“偽善”が多いですが、そうした偽善を行わないためにも、講師は、責任を持ってしっかりと“真実”を教授しています)。

講師が発する英語は、講師自身、「この地球に存する一個の理性的存在者として発している英語」です。これをわかりやすく述べるならば、講師が喋る英語は、知識で喋る英語ではなく、「理性と感性を源泉として発する英語」。レッスンにおいて講師が喋る英語は、それが日常生活の話題であっても、あるいは、何らかの学問分野の話題であっても、常に、すべては、「講師が備える理性と感性」を源泉として展開されています。

この話の流れで受講生の皆さんに理解していただきたいことは、受講生が60分のレッスンにおいて講師と英語で喋るとき、受講生自身が、「自己顕示欲の実現として、“自分が知っている知識を披露したい!”という利己的願望から英語を喋っても何ら意味を成さない」ということです。生井利幸のレッスンは、受講生自身が、世の中に蔓延する“俗的な自己顕示欲”、または、“ローカル目線での私利私欲・損得勘定”を捨て去り、「清らかな心のステージ」を基盤として受講して初めて、レッスンの意味が生じ、他の教室では決して経験することのできない「崇高な英語の世界」に入ることができるのです。

生井利幸のレッスンは、「理性と感性で展開されるレッスン」です。受講生の皆さんにおいては、「講師の英語を、自身の理性と感性で繊細に受け止め、講師が発する英語を、“理性的に”、そして、“感性的に”聴く」という経験が重要ポイントとなります。

ボイスレコーダーでレッスンの復習をするとき、講師が喋る英語を、“極めて理性的に”、そして、“極めて感性的に”講師の英語を聴くことにより、例えば、1)「ああー、そうだったのか。先生がこの話をしたのは、このような意味合いがあったんだ」、2)「レッスン中はわからなかったけど、この話は、私に“大切な気づき”を与えるために展開したんだ」など、レッスンに内在している「本質」が次第に見えてきます。この本質とは、講師のレッスンは、実は、単なる英会話のレッスンではなく、「英語の言語教育を通して、受講生において“国際基準の崇高な心のステージ”を構築させ、受講生自身の理性と感性を磨き抜き、真の意味での国際的教養・品格を備えた英日バイリンガルへと変貌させるためのレッスンである」ということです。

“わたくし生井利幸の立場”から述べると、このことは、この教室を展開する上での「ミッション」と明言できるものですが、実際、このミッションについて受講生が理解するまでには相当の時間がかかります。通常、受講生においては、受講をスタートしてから1年が経過し、2年目になって初めて、この「講師が掲げるミッション」について少しずつ理解を深めていきます(稀に、人生経験・社会経験が豊富な受講生、あるいは、若い世代の受講生であっても、深い見識と洞察力を備えた受講生においては、受講スタートから半年程度で理解を深めるケースもあります)。

講師のミッションについて理解を深めるその度合いは前述した通りですが、多くの受講生は、通常、受講スタートから2年目において、1)「英語の深さ」、2)「国際コミュニケーションの真髄」、3)「真の意味での教養」などに徐々に触れ、このラインを越えて初めて、趣味程度の学習、あるいは、上辺だけの学習では決して知りえない「奥の深い素晴らしい英語の世界」へと入っていきます。受講生は、この境地に到達したとき、初めて、「英語は、世間一般で言われているような簡単な言語ではなく、“極めて難しい言語”である」ということを確かな実感として感じるようになります。

講師の英語には、様々な構成要素が内在しています。具体的に述べるならば、そこには、講師が、これまでの人生において国内外で積み重ねてきた様々な人生経験、例えば、「歓喜、幸福感、達成感、悲しみ、葛藤、辛苦、挫折、孤独感、自身の無知・非力から生じる虚無感」など、講師が発する英語の一語一語には、実に、様々な人生経験・生き様が沁み込んでいます。

「音は、音であって音ではない」、・・・・・講師が発する英語における抑揚、センテンスにおけるメリハリの利かせ方、「間」の取り方、声の強弱、呼吸の仕方、場面場面におけるスピードの微調整など、それらすべては、これまでの人生における生き様から構築されたものであり、これは、単に、「英語を知っている」、「海外在住経験がある」という趣旨のものとは根本的に異なるものです。

講師が駆使する英語表現法には、それぞれ“それ相応の意味”があり、受講生が講師の英語を聴くときは、それらに内在する意味・真意をしっかりと把握することが、講師の英語を習得する上で重要なポイントとなります。

「音は、音であって音ではない」、・・・・・再度、この観点から、受講生の皆さんにご留意していただきたい事項を述べたいと思います。

<1>
「当・英会話道場イングリッシュヒルズにおいては、英語の音は、単なる音ではない」ということを認識する(このことは、一般の英会話学習者においては、ほとんど理解できないラインの話である)。

<2>
英語(言語)には、それを発する人間の人生経験、哲学、精神、ものの考え方、価値観などが、“実にたっぷりと”沁み込んでいる。

<3>
英語の発音・イントネーションは、上辺だけ、即ち、“ただ単に音だけ”それを真似していても、一生涯、同じように喋れるようにはならない(この問題は、今も昔も、日本人にとって最も理解の及ばない問題の一つである)。

<4>
「外国人と交流を図りたい」という願望から英語を学ぶのではなく、受講生自身、「この地球に存する一個の個人として、個人としての“教養”を養い、“人間力”を磨き上げる」という確固たる精神を持って英語を学ぶことが重要である。

一般に、人は、この精神の重要性を知ったときに初めて、「外国人も日本人も、すべて同じ人間である。接する相手が外国人だからといって、必要以上に構えたり、度を越えて親切にする必要はない。日本人が外国人に対して度を越えて親切にするその行為の中に、“日本人独特の盲目の国際感覚”が露呈し、日本人と外国人の間に、“一種独特の不健全な関係性”を生じさせる要因をつくる」ということに気づく。

<5>
相手が何人であっても、常に、同じ人間として平等に接することが大切である。したがって、「言語は、その都度、必要に応じて使い分ければいい」という国際社会における「常識」(common sense)を持つ。

<6>
コミュニケーションにおいて一番大切な要件とは、常に、「心」である。このことは当たり前の認識事項であるが、人は、日々、物質的に恵まれた生活を送っていると、知らず知らずのうちに“無思索状態”となり、しばしば、「心の重要性」を忘れる。

受講生の皆さんにおいては、ボイスレコーダーで講師の英語を聴くとき、本稿において述べた事項を頭の中に入れて、常に、「心を込めて丁寧に、そして、全身全霊で講師の英語の真似をする」ことが効果的な学習経験となります。何度も繰り返し、全身全霊で講師の英語の真似をすることにより、少しずつ、講師の英語が受講生の心と体の中に入っていきます。

最後に、この「真似」について、一つ、“極めて重要なお話”をしたいと思います。

真似といっても、いわゆる“上辺だけの真似”は、「鍍金」(めっき)のようなもの。鍍金は一時的には定着しますが、後に、次第にはげていきます。

一方において、「英語を発する人間の“精神”・“考え方”を理解する」という“実体的プロセス”(substantial process)を介して行った真似は、まさに、“正真正銘の本物の真似”と言えるもの。受講生の皆さんが全身全霊で真似た“本物の真似”は、やがて、真似ではなくなり、受講生自身の「血」(blood)となり、「肉」(flesh)となり、そして、「骨」(bone)となり、最終的には、“正真正銘の本物”となってきます。この学習経験は、当英会話道場イングリッシュヒルズならではの“超・学習経験”であり、この学習経験こそが、「国際的教養・品格を備えた英日バイリンガル」として変貌していく上で必要不可欠な経験であるのです。

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