<1>
生井利幸は、芸術作品に内在する芸術性について、それを「独自の芸術的・美学的表現方法」を介して表現する”存在者”である。
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生井利幸に於ける「独自の芸術的・美学的表現方法」を用いるための言語は、「(地域的言語である)エレガント英語」を遥かに超越する(1)『エラヴェイティッド英語』(English spiritually elevated)、及び、(2)『準エラヴェイティッド英語』(English spiritually pre-elevated)である。
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生井利幸が、「特殊講義」形式で、学習者に対して「生井利幸に於ける独自の芸術的・美学的表現方法」で講義を賦与するとき、学習者は、その時空間に於いて、生井利幸独自の芸術的境地・美学的境地について、前掲2種の言語表現によって”超越的に”(非地域的に)経験することができる。
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通常、ほとんどすべての人間は、「感覚」の概念について、それを「感性」の概念であると間違えて(誤解して)捉えってしまっている。生井利幸の指導の下、学習者が真の意味に於ける「感性」(sensibility)の概念について”大まかに”(雑に)把握できるようになるには、通常の場合、「10年程度の期間」が必要とされる。
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「感性」の概念について、それを体系的、且つ、構造的に認識・理解するためには、前提条件として、「理性」(reason)の概念・構造等について、人類(humankind)がこの地球に於いて経験してきた自らの歴史(人類史)の範疇・枠組みの中で、”体系的”、且つ、”系統的”に認識・理解することを要する。
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世界の学問・文化・芸術について生井利幸が完全個人稽古している学問所、即ち、英語道弟子課程では、弟子たちは、「理性」「感性」にかかわるすべてについて、”体系的”、且つ、”系統的”に学んでいる。
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生井利幸は、学問・文化・芸術に於いて、「それぞれ、まったく異なる分野である」という如き、”典型的”見方・捉え方をしていない。地域的立ち位置・捉え方から離れ、普遍的な立ち位置・捉え方を基盤として講じるならば、世界に存する諸々の学問・文化・芸術の源泉は、それぞれ「同じ源泉(出所(でどころ))」である。