発音習得法

英会話道場イングリッシュヒルズでの学習について(受講生・Y.B.さんによる記述)

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私は、母国語である日本語と同じように、英語でも自分の年齢や経験、立場に応じた話し方や振る舞いをしたいと強く感じ、英会話道場イングリッシュヒルズに入門させていただいた。しかし、入門当時はまだ「英語を母国語とする人のように流暢な発音で話せるようになりたい」という思いが心のどこかにあったのかもしれない。入門後、生井先生は、すぐに、私の浅はかな思いを打ち砕いて下さった。言語を表面的に学ぶのではなく、この地球上に存在する「一個人」としてどのような精神基盤で言葉を発するべきか、この3年間で徹底的に教えていただいた。

今回、生井先生より、「発音が上達したことに関する学習成果についてまとめてほしい」というご提案をいただいた際、恐縮する気持ちと驚きの気持ちでいっぱいになった。私はこの3年間、ただただ生井先生にご指導いただいたことを実践しているのみで、特別なことは何も行っていない。もちろん、毎回のレッスンは、私の生涯で一回限りの「特別」なものであり、全てが私の糧となっている。しかし、どうしても発音が上達するために行った具体的事例が思い浮かばないため、今回は、生井先生との出会いによって、英語に対して盲目的になっていた私の視点が変わったことについて述べてみたい。

私は3年前にコロンビア大学のドナルド・キーン名誉教授の講演を聴く機会があった。キーン名誉教授は、講演を全て流暢な日本語で行った。そして、その中で、「なぜ多くの日本人が、自分(キーン名誉教授)の話す日本語を褒めるのか不思議でならない」という趣旨のことを述べていた。その時は、会場が笑いに包まれ、和やかな雰囲気になったという印象で、私自身は、その発言が意図することについてあまり深く考えなかった。しかし、英会話道場イングリッシュヒルズで学習を続けたり、生井先生の著書を拝読したりするうちに、キーン名誉教授は本質を突いた発言をされていたことに気づいた。それは、まさに常々、生井先生がおっしゃっていることなのではないだろうか。

“It doesn’t matter who you are. It is very clear to say that before you are a Japanese, you are a human being. You need to think about that based upon the importance of individuality. You are one of human beings existing here on this earth. It doesn’t matter you are a Japanese or American, Spanish. It is not an important matter. This is your own language to express yourself. You’d like to use language appropriately. I’d like you to use this language out of your heart. This should be deeply spoken out of your soul. If you are speaking all of your expression out of your soul all the time, already, you are a really real bilingual.”(2011年3月3日のレッスンより)

生井先生のご著書 『ビジネスでガイジンに勝てる人、負ける人』 の中でも、先生の友人の同時通訳者が「英語が褒められる以上、自分の英語はまだ本物ではない」と愚痴を言う記述がある。(p.143)同様に、キーン名誉教授に対して、日本語を褒めるということは、大変失礼なことであり、さらに「何語で話す」ということ自体、実に、”低次元のレベルの話”ではないだろうか。

講演において、キーン名誉教授は、完璧な敬語を用いて、ゆっくりと丁寧に日本語でお話しをされていた。よく思い返してみると、確かに発音やアクセントは、日本人が話すそれとは異なっていたかもしれない。しかし、そのようなことは、全く気にならなかった。むしろ、その丁寧な話しぶりからキーン名誉教授の誠実な人柄や、長年研究なさっている日本文学や文化への造詣の深さ、そして言葉を大切にされている真摯な姿勢に大きな感動を覚えた。

生井先生のご著書 『人生に哲学をひとつまみ』 では、キーン名誉教授が行ったシェイクスピアと日本の近松の比較研究について言及されている。キーン名誉教授は、「ある意味で、シェイクスピアよりも近松のほうが、より近代的である」(p.235)と説いており、学問における公平無私な立場から、江戸時代の日本人の持つ「個人の尊厳性」を指摘している。キーン名誉教授は、アメリカ人でもなく、日本人でもなく、何人でもなく、地球上に存在する「一個人」という立場から個人を尊重している。前述の「なぜ多くの日本人が自分(キーン名誉教授)の話す日本語を褒めるのか不思議でならない」という話も、キーン名誉教授は、英語でも日本語でも、何語であろうとも、常に、自分が伝えたいことを表現しているだけであって、「何語を話していようが関係のないこと」と言いたかったのではないだろうか。キーン名誉教授の話した「エレガントな日本語」は、深い意味で言えば、母国語でも外国語でもなく、「キーン教授のもの」なのだ。

私は、英語に対するコンプレックスから、英語を話す際、「上手に話さなくては!」という思いに駆られてしまっていた。しかし、よく考えてみると、逆に外国人と日本語で会話を交わす際、ほとんどの外国人は、どんなに下手な日本語でも堂々と一生懸命に話そうとするし、私も相手が「何を伝えようとしているのか?」という中身を酌みながらコミュニケーションを図ろうとする。例え相手の日本語が下手でも決して馬鹿にしたりしないし、発音も気にならない。私は、恥ずかしながら、生井先生にお会いするまで、そんな簡単なことにも気づかなかったのだ。

今、改めて私は、神聖な「知の泉」(Spring of Sophia)である銀座書斎で、生井先生のエレガントな言葉のシャワーを浴びることのできる幸せを感じている。銀座書斎で「知」(学問)の潮流に触れ、音楽や絵画などの芸術に触れ、私なりに理性と感性を相互作用させながら、遅々とした歩みではあるが、少しずつ私の基盤を構築している。

イングリッシュヒルズ入門後、発音を勉強しているという意識は全くなかった。毎日の積み重ねを通じた結果、「発音が上達した」と先生に褒めていただいたのだとしたら、この嬉しい気持ちを、4年目に入ったこの春からの励みにしたい。

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