■Recitative-style lecture (”lecture dramatized” in the opera)
⇒ Virtue of straightforward love (recitative-style lecture in Le Nozze di Figaro, K.492 composed by Wolfgang Amadeus Mozart)
■特別指導
すぐに終わってしまう「極めて短い自分の人生」を生きる中、一生涯をかけてどうしても「エレガント英語」を「自分の英語」としたい学習者は、レッスンにて講師から与えられている学習内容に加えて、講師の公式サイトである生井利幸公式サイトに日々訪れています。同公式サイトには、学習者が「教養あるエレガント英語スピーカー」になることを目指し、さらに奥の深い学習をするための英語音声講義、及び、文書教材が相当数掲載されています。その分量は、まさに、「あまりにも多すぎて、すべてを学習・習得するには、実に一生涯かかる」という、”通常の常識”を超えた量です。
学習者が、腹を決めて「本物の道」を歩むとき、その道に「終わり」はないでしょう。このことを日本文化、とりわけ茶道にたとえれば、「茶の湯の道に『終わり』がない」こととと同じです。
英語の学習は、やればやるほどに、まだまだ「先」があることがわかってきます。英語は、「デリケートで、難しい言語」です。「どこかのスクールで2,3年レッスンを受ければ、それで英語がペラペラになる」と本気で考えている人は、実のところ、英語を知らない人です。英語を知らない人ほど、「英語は簡単である」と思い込みます(この思い込みは、「本人の無知・無教養」から生じる誤解です)。
わたくしは、英語のエキスパートである同時通訳者等から、「英語は簡単である」というお話を聞いたことがありません。わたくしの友人の一人に、国内外でトップレヴェルの同時通訳者がいますが、彼女は、70代になる現在も、「英語と日本語の『基礎』(base)」を重要視し、毎日、自分を磨き続けています。彼女を見ていると、「できる人ほど、自分の無知・非力・無教養について決して忘れない」ということを感じます。